出身地の大阪支店に入社後、営業を12年務めた。キャリアを変えたいと考えていたときに海外赴任の公募があり、選任されすぐに中国上海に赴任することになった。当時、営業として赴任するつもりだったが、現地での仕事は中国内販の生産担当として「リプロダクション」することだった。(日本国内で生産している商品を、中国内販用に現地調達の原材料に置換え、中国工場で生産すること)「今思えばそんなに難しい仕事ではないのですが、当時は生産管理の業務について何も知らなかったので苦労しました。プロダクションを知らないのにリプロダクションをするわけですから。」
とにかく目の前の仕事を片付け続けるうちに2年ほどで帰国することになった。「大阪や地方の支店は営業・販売が業務の中心なので、戻ってきてからの勤務地は自ずと東京となりました。とは言え、このセクションは海外も仕事場のようなものです。毎年40~50日くらいは出張で海外に出ています。」帰国後は現在までずっと海外生産を担当している。
最初の頃は主に中国生産が中心だったが、現在はASEANにシフトしてきている。
ASEANで新しい工場を開拓し、そこにどうやって原材料を運び、製品にして日本に輸送するかという「ロジスティック」まで深く踏み込んだ仕事をしなければならない。工場の進捗管理をするのは当たり前だが、あらゆるところから原材料を調達し、適材適所で生産すること。さらに完成した製品の輸送手段を検討し、その国の政治状況や周辺国との関係まで考える。為替やカントリーリスク、経済状況、道路事情、法律など…気を配らなければいけないことは多岐にわたる。大変ではあるが、うまくいった時の達成感もそのぶん大きい。
海外の工場を探すのは、価値と価格のバランスの合った良いものを適材適所で作るため。その為の環境を整え、より効率的に商品を店舗に運ぶ方法を考えるのが生産管理の仕事だ。「管理と同時に、開発深堀していく仕事です。どこの会社もそうだと思いますが、以前は縁の下の力持ち的な部署でした。でも、今はそうではなくて『攻める』部署になりました。」生産管理における『攻め』とはどういうことか。それは一定のリスクを取りながらも、より良い結果を追い求めるということだ。
「MDやデザイナーが商品のデザインや素材を決めるときに、新しい発想をしながらメリハリをつけて企画を立てていくように、生産は原材料や輸出入経費など仕入値を安くするためにまとめて購入したり、特定地域や工場に製造を集約させたりします。目の付け所を外して素材や商品を残ってしまったこともありますし、逆に成功して大きな売上げに繋がったこともあります。」
2010年あたりにダウンコートが流行したときに、原料の羽毛を集約して数トン単位で手配、輸送手段・工場などと取組み、多数のブランドの商品の量産を行ったことがある。それら商品がマーケットに受け入れられ会社の利益に貢献した。
海外生産の業務は、原材料等のサプライヤーや工場、検品・通関業者や保険・金融機関など、国内の生産管理とも違った様々な人と会う仕事だ。
「たくさんのお取引先様、サプライヤー様と接するこの仕事では、社交的で礼儀正しいことがいちばん大切なベースとなります。最初に顔を合わせたときは仕事に繋がらなくても、長く働いているとある時そのお取引様と仕事をする機会がやってきたりします。そういう時に常に誠意を持って接していれば仕事がスムーズに進みますし、たとえ仕事に繋がらなくても長く情報交換を続けている先様も多くいます。逆に、傲慢な態度を取ってしまうような人は、相手も心を開いてくれません。簡単なことのように思う人もいますが、学生に限らず社会人でもきちんと挨拶すらできない人はいます。仕事に関する知識や技術は、経験するなかでつけていけばいいので、面接などで若い人を見るときはそういう基本的な姿勢を見ることになります。
就職活動中の短い期間で自分の本当にやりたいことや考えをまとめるのは難しいことだと思います。ですが社会に出てからは、学生時代よりずっと長い時間社会の中で過ごすことになります。全力で考えて、決めたことをやり抜いてほしいです。悔いが残らないように、今出来ることに目一杯情熱を注いでください。」
所属部署は取材当時