青天の霹靂とはまさにこのことだと思った。上海に赴任して1年半。国際事業本部長から直接聞いた人事異動は、思ってもみないものだった。
「香港現地法人の社長を命ずる、と。驚きました。最初は言葉が出ませんでした」。当時、入社8年目の31歳。前任の社長は50代だった。「会社としては、若い人間にチャンスを与えよう、経験を積ませよう、という意図があったんだと思います。でも、当事者としてはそんなことは言っていられなくて(笑)。絶対に無理だと思いました」。
香港法人の年商は当時で11億円。10名の現地採用の香港人スタッフを率いるのは、日本人の社長1名のみ。事業内容は、台湾、シンガポールなど他国への卸売販売、香港での4つの直営店の運営、中国・広東省にある協力工場での生産事業の大きく3つ。委ねられるのは、まさにこれら事業の経営そのものだ。
「戦略・戦術の策定から予算管理、スタッフのマネジメント、売掛金や買掛金の管理、銀行との交渉、取引先との折衝…。日本人一人ですから、現地で頼れる人はいない。でも、せっかくいただいたチャンス。トライするしかない、と」。幸いにも前任者からの引き継ぎには3カ月の期間を会社から与えられた。「とにかく吸収できるものはしようと必死でした」。そして3年。売り上げはなんと6割も増え、18億円を超えた。新たな直営店も、1店舗新たにオープンさせた。